オンカジにハマって家族を失った俺が懺悔することで伝えたいこと
懺悔してももうどうにもならないことはあるが、それでも懺悔しなければならないことはある。
というより、むしろどうにもならないからこそ人は懺悔をしなければならないのかもしれない。
俺がしなければいけない懺悔というのは、オンラインカジノで作ってしまった借金と、オンラインカジノの借金が原因で壊れてしまった人間関係のことだ。
オンラインカジノに関する懺悔なんてのは、特別なことではない。
俺の懺悔も、ほかのオンラインカジノ利用者のそれと同じく、ありふれた似通った内容になるだろう。
それでも、オンラインカジノ関しては、1つでも多くの懺悔が必要だと俺は考えている。
1人でも俺のような破滅者を出さないためにも、俺も俺の破滅話をしていく義務があると感じている。
オンラインカジノは危険だし、遊んではいけない。
もし遊ぶとしたら、オンカジ無料版やオンカジの入金不要ボーナスだけで遊ぶべきだ。
お金を1度でも賭けてしまったら俺のように人生が終わる。
俺の懺悔がそういったメッセージを伝える一助になれば幸いだ。
オンラインカジノは自分以上に周りの人間を傷つけた
オンラインカジノで破滅したのは俺なのだが、オンラインカジノによって傷ついたり迷惑をかけられたのは、俺以上にまわりの人間だったんじゃないかと今では思う。
オンラインカジノにハマる前の俺は、妻も子供もいる、いわゆる普通の家族だったと思うが、俺がオンラインカジノにハマったことで、この「普通」はもう二度と帰ってこないものになってしまった。
結論から言うと、俺はオンラインカジノで作った借金が原因で離婚をしたし、たぶんもう娘に会うこともできないだろう。
そして、俺がそういう境遇に至っていることを、いまでは「当然だ」と感じている。
だから、こうして懺悔もできるのだ。
俺が作った借金が、たとえば不動産投資であるとか仕事にともなう事業の失敗などだったら、まだ家族に与える心象も悪くはなかったかもしれない。
だが、オンラインカジノで三桁レベルの借金を作るということに関しては「情状酌量の余地」がまったくないのだ。
俺は妻に黙ってオンラインカジノに金をつぎこみ、将来娘のために使うためにためていた学費にも手を出し、それも尽きて借金地獄に足を踏み入れ、生活苦を引き起こし、闇金がたびたび家に訪れるという事態を招いた。
救いがたいクズだ、と今では思う。
オンラインカジノにハマったことで、俺は「過去」の俺が築いてきたもの、当時の家族が大切にしていた「現在」、そして娘や妻の「未来」をすべてを踏みにじり、台無しにしたといえるだろう。
いくら懺悔したところで破壊されたものはもう帰ってはこない。
粉々に割れてしまった皿は修復することができないのだ。
罪滅ぼしの日々から見えてくる間違った日々のこと
俺はいま、オンラインカジノで作った借金の整理に追われている。
当然、オンラインカジノをやる余裕などはなく、地道に労働をして、ひとりの部屋に帰り、眠るだけの罪滅ぼしの暮らしだ。
いや、罪滅ぼしなどと言ったが、本来は「これが普通の暮らし」なのだ。
オンラインカジノなどに手を出すから、まじめに働いて寝るだけの暮らしを「苦しい」とか「罪滅ぼし」などと言ってしまっている。
贅沢など少しもできない暮らしを通して、かつての俺がいかに恵まれていたかがわかった。
俺がオンラインカジノなんかに手を出さなければ、つつましいが恵まれていたあの暮らしを、妻と娘から奪うこともなかったのだということが、日に日に実感として迫ってくる。
いくら懺悔しても、懺悔しすぎるということはないだろう。
断言するが、オンラインカジノに手を出すというのは、完全に間違った行為だ。
倫理的にも間違っているし、法的にも間違っている。一つも「正しい」といえるものがない。
それがオンラインカジノというものだ。
だが、悪いのはオンラインカジノである以上に、オンラインカジノなんかに手を出し、借金を重ねるほど「勝ち」にこだわった俺の欲望にまみれた弱い心であっただろう。
懺悔の日々で気づかされるのは、そもそも俺以外の多くの人はオンラインカジノで破滅などしないということだ。だから、いまの俺の境遇は、すべて俺自身が引き起こしたことでしかない。
俺は、今後はオンラインカジノの批判もやめていくだろう。「やらないほうがいい」という啓蒙だけはするが、本当に悪いのは、オンラインカジノに手を出した自分でしかないのだから。